海外の出自を知る権利:子供中心の透明性と生涯支援
2025年、「出自を知る権利」を含む特定生殖補助医療法案の提出と廃案が大きなトピックスになりました。法案はドナーの匿名性保護と子の権利のバランスが取れず、2025年6月までに成立せず廃案。出自を知る権利は本来どうあるべきだったのか、完璧な形はつくることはできないもののESHRE(ヨーロッパ生殖医学会)の知見(参考)をふまえたら、理想の形に理解が進むのではないかと思いました。
精子提供で家族を築くとき、「子供にいつ、どう伝えるか」「ドナー情報はどこまで知れるか」「将来、子供が混乱したらどう支えるか」——選択的シングルマザー、同性カップル、男性不妊夫婦、ドナー自身に共通する悩みです。出自を知る権利を「一度きりの開示」ではなく「子供中心の透明なプロセス」として捉え直し、幼少期からの段階的な伝え方、ドナー情報の更新、困ったときの支援体制を確立する海外の出自を知る権利におけるESHREの知見(参考)の最新情報をお届けします。
出自を知る権利とは何か:理想は「情報の開示」ではなく「生涯のプロセス」
理想的な出自を知る権利は、単なる情報開示ではなく、子供の権利を最優先し、透明性と心理的サポートが生涯にわたり保証される権利です。ESHREでは、ドナー懐胎者・親・ドナーそれぞれに、情報提供・開示・継続的支援を組み合わせた運用が推奨されています。
- 早期の出自の開示(親が幼少期から段階的に伝える)
- 情報の更新(ドナーの医学的情報変更時に家族へ共有)
- 独立したカウンセリング(医療とは別の心理専門職)
これらが三位一体で機能することが、子供の心理的安定と信頼形成につながります。
子供・親・ドナー・子供それぞれの不安
消費者向け遺伝子検査(DTC-GT)やSNSの普及により、匿名性は事実上保証されなくなっているという環境変化が不安を増幅させています。ドナーが未登録でも、親族のDNA登録とSNS情報で追跡可能になるため、「秘密にしておけば安心」という前提が崩れています。病院の検査で血液型が違った、小さい頃から自分の顔が誰にも似ていないなど、精子提供で産まれた子供が出自に対して疑問を持つ機会は高い確率で訪れます。
立場が異なると不安の中身も違います。選択的シングルマザーは「父親がいないことの説明」、同性カップルは「偏見と出自説明の両立」、男性不妊夫婦の男性は「遺伝的な父でない葛藤」、ドナーは「将来子供からの連絡」を抱えます。
隠し通すのではなく、情報開示することを前提にすること、それぞれに精神的なケアを設計することが重要であると考えます。
「知る権利」と透明性の確保:出自の開示を”段階的・継続的”に設計する
子供の心理的安定と信頼形成のため、出自の開示は一度きりの告知ではなく、幼少期から段階的に積み上げるコミュニケーションとして設計することが望ましいとしています。遅くとも学童期以前(小学校前)にドナーの助けで生まれたことを伝え始めることが推奨です。
この推奨の背景には、「秘密を守り続けるコストが高すぎる」現実があり、突然の開示は「隠されていた」不信感を与え、家族関係に悪くなるリスクがあるためです。一方、早期からの段階的開示は、子供が自然に自己理解を深め、親子間の信頼を維持しやすくします。
早期から出自を開示する考え方が産まれた背景には、遺伝子検査やSNSによる「秘密保持の困難化」があります。親族が遺伝子検査サービスに登録していれば、子供が成長後に自分で検査した際、意図せず遺伝的つながりが判明する可能性があります。こうした「偶発的な発覚」を避けるため、親が主導して早期から伝えることが、子供の心理的安全を守る最善の方法です。
ドナー情報は固定ではない:「医学的情報の更新」と家族への共有の考え方
ドナー情報は一度取得して終わりではなく、医学的情報の更新が起こりうることを前提に、更新・連絡・共有の流れを準備しておくことが重要です。
ドナーに遺伝性疾患が発生した場合、その情報が精子・卵子提供を仲介するバンクセンター(以降、バンクセンターと呼ぶ)経由で提供を受けた家族に共有される仕組みが必要としています。逆に、提供を受けた人に重大な健康問題が生じた場合、バンクセンターがドナーに連絡を取り、追加の情報提供を依頼することもあります。
双方向の情報更新体制が、子供の健康管理と権利保護を実質的に機能させます。
ドナー本人だけではない:「ドナー兄弟」とのつながりという重要な視点
出自を知る権利というと、「ドナー本人を知るかどうか」に焦点が当たりがちですが、ESHREの知見では同じドナーから生まれた他の子供(ドナー兄弟)との関係も、アイデンティティ形成において非常に重要な要素とされています。
多くのドナー懐胎者が成長後に抱くのは、「自分は誰に似ているのか?」という問いだけでなく、「自分と同じ遺伝的背景を持つ人が、他にどこかにいるのではないか?」という感覚です。
理想的な支援の形
- ドナー兄弟の存在の有無・人数にアクセスできる
- 希望があれば、専門家を介した安全な接触プロセスが用意されている
- 無理なマッチングではなく、心理的準備を重視する
これは子供の単なる「好奇心」ではなく、「自分が世界にどう位置づけられているか」を理解するための自然な欲求です。出自を知る権利には、この横のつながりへの配慮も含まれるべきと考えられています。
提供を受けた側だけでなく、提供した側の心の準備も必要
匿名性が崩れつつある現代では、「いつか連絡が来るかもしれない」という前提に立つ必要があります。しかし、多くのドナーはそのつもりで提供していないのが現実です。
匿名前提で提供した人にとって、突然の連絡は、
- 人生設計の崩れ
- 家族への説明の困難さ
- 心理的動揺
を引き起こす可能性があります。提供した側の家族や人間関係に影響を与える可能性もあります。そのため、突然の連絡に対する影響を緩和する必要性があります。
理想の形
- 子供や親がドナーを探す際は、必ず専門家が仲介
- 直接連絡ではなく、段階的・同意ベース
- ドナー側にも心理支援の選択肢がある
「知る権利」は、誰かを傷つける権利ではありません。だからこそ、節度ある開示プロセスが不可欠なのです。

提供者と子供の面会については、双方の合意がベースで考えているみたいです。お互いを傷つけ合う形にならないようにセンターの支援は必要不可欠ですね。
「人数」ではなく「家族数」で提供数を制限する
精子提供では遺伝的な兄弟姉妹の関係を管理する必要性があります。ESHREが推奨しているのは、「子供の数」ではなく家族の数で制限する方式です。
これはとても重要なポイントです。
家族数制限のメリット
- 同じ家庭が同一ドナーで第2子・第3子を持てる
- 家庭内で全員が遺伝的兄弟姉妹になる
- 「自分だけが違う」という感覚を避けられる
これは、子供の心理的安定に直結します。
単に遺伝的リスク管理の問題ではなく、家庭内の関係性設計の問題としても解決することが必要です。
「遺伝的につながらない親」の葛藤を軽視しない
男性不妊夫婦の父親など、遺伝的につながりのない親は不安を抱きやすい傾向にあります。そのため、遺伝的につながりのない親に対する十分な配慮が必要としています。
- 本当に自分は「親」なのか?
- 子供に拒絶されるのではないか?
- 世間の「普通の家族像」に合わないのでは?
自分に遺伝的がつながりがないことで不安や葛藤を常に抱えることになります。
理想の支援
- 「遺伝」と「養育」は別の価値であることを明確にする
- 出自開示の前提として、親の自己肯定感を支える
- 長期的な心理支援の選択肢を用意
親が安心できなければ、子供の安心も育ちません。出自開示は、その前に家庭の土台を整えるプロセスが必要です。
知ったあとに「傷つく」可能性にも備える
出自を知ることは、必ずしも癒しになるとは限りません。
- 思っていた人物像と違った
- 情報がほとんどなかった
- ドナーに拒否された
こうした結果は、十分に起こり得ます。
だから必要なのは
- 「知る前」の期待調整
- 「知った後」の心理ケア
- 失望しても支えがあるという保証
これは、「権利を与える」だけでは不十分で、
結果に対するケアまで含めて制度設計すべきということを意味します。
まとめ
ESHREの知見を紹介しましたが、日本の現状から考えると情報を仲介するセンターの存在で成り立っている仕組みが多いように感じました。ドナー、提供を受ける家族、産まれた子供だけでESHREの仕組みを成り立たせることは現実不可能な気がしました。出自を知る権利に対して、早く法案が成立され、体制整備がされることを強く望みます。以下、出自を知る権利に必要な土台をまとめます。
- 出自を知る権利は「情報の開示」ではなく生涯型の支援プロセス
- 段階的な出自の情報開示
- 遺伝的な影響を元にした医療の体制整備
- ドナー兄弟との関係も重要な要素
- ドナー側の心理的保護も不可欠
- 家族数制限は子供の安定につながる
- 非遺伝的親への支援が土台になる
- 知った後に傷つく可能性への備えが必要
引用一覧
- ESHRE, Information and support for gamete and embryo donation: recommendations for good practice, 2022
https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC8847071/

